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このブログは自分を高めて成功したいと願う筆者がどうしたら自分を高められるかを探求していくブログです。
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 ここ数週間、大学の倫理学の授業でカントの倫理学についてやっています。倫理学には主に価値倫理学と義務倫理学というものがあり、前者は価値を重視し、後者は義務を重視した倫理学です。カントの倫理学は義務倫理学の方で、人間は幸福を追求する前に本来守るべき道徳を守らなくてはならないと、カントは主張しています。今日の倫理学の授業では、カントが自由についてどのように論じたかが取り上げられました。ここで本題なのですが、僕はこの授業を聞いて、じゃあ規則に従う自由は自由なのかという疑問が出てきました。
 規則は守るべきもので、それには絶対に従わなくてはならない。そこには自由など存在しないとだれもが考えると思います。しかし、規則に従わない自由だってあります。それでも、大半の人が規則に従います。はたして、規則に従う多くの人は自由な判断で規則に従っているのでしょうか。
 この倫理学の授業を受ける数年前に、ある英文を見たことを思い出しました。でもその英文はどこで見たかだれが書いたものか全く思い出せません。たしか、その英文の大まかな内容は以下の通りだったと思います。「たとえ誰かに強制されたものであっても、規則に従うかどうかは最終的にその人自身にゆだねられており、規則に従えばその人自身が自分の判断で行ったことになる。なぜなら、強制されたものでも拒否することができるからです。」つまり、どんな状況でもあなた自身に選択の自由があるということです。
 でも、脅されて強制されたなら選択の自由などないのではないのか、と反論する方もいらっしゃるでしょう。しかし、脅されて恐怖を与えられても、やるかやらないかはあなた自身で決められるので、あなた自身に選択の自由があると考えることもできます。
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 今日は経済学で有名なパラドックスでありながら、私たちにとって最も身近な問題について触れます。その問題は、これまでに取り上げた数学的なパラドックスに比べて、単純な話です。

疑問:どうして水は
必要不可欠なものであるのにタダで、反対にダイヤモンドは役に立たないのに高価なのでしょうか。

 この疑問は経済学の始祖と呼ばれるアダム・スミスが提唱したパラドックスです。この問題を取り上げるうえで重要なことは、使用価値と交換価値について理解する必要があります。例として、1つのボールペンを取り上げてみましょう。ボールペンは文字を書くという機能を果たします。つまり、ボールペンは道具として使用する価値があるのです。これが使用価値です。またボールペンは、お店に行くと100円ほどで購入することができます。つまり、ボールペンは100円で交換する価値があるのです。これが交換価値です。
 このパラドックスを解決するために、アダムスミスは使用価値をの概念を無視した議論に持ち込もうとしました。彼は、価値を決めるものはもの自身がどれほどの使用価値をもっているのではなく、
ものを作るのにどれだけの労働が投入されたかにあると、考えたのです。これが労働価値説
です。たしかに水は川から取りに行けばいいだけですし、一方でダイヤモンドをとりに行くには、多大な費用がかかります。しかし、スポンサー企業がテレビ局に払っている広告料はどうでしょうか?広告を出すこと自体にかかるお金に対して、広告料はあまりにも高い気がします。アダムスミスの生きていた時代は、価値を生み出していたのは労働が中心だったのかもしれません。しかし、現在はサービス業中心であるので、労働価値説だけではすべてを説明することはできません。
 
企業がブランドを保つために意図的に価格を吊り上げていると考えることもできます。ダイヤモンドやブランド物はこれである程度説明がつきますが、これだけですべてを説明することは無理だと思います。水とダイヤモンドのパラドックスは、正しい答えをうまく立証できないから難しいと思います。
 前回のゼノンのパラドックスのシリーズ第一弾で、アキレスと亀を取り上げました。今回はそのシリーズの第二弾で、二分法について取り上げます。
 ここで直線ABが存在するとします。AからB地点に移動するためにはABの中間点B1を通過しなくてはなりません。さらにAからB1へ移動するためには、AB1の中間点B2を通過しなくてはなりません。このようにして、AB間には中間点が無限に存在するため、
A地点を出発することができないというパラドックスがおきます。
 この矛盾について議論するのは、1メートルの線上に存在する点の数を数えることに等しいです。つまり、パラドックスはいくら議論しても永遠に解決しない問題だと思います。もし、二分法を見事に解決してしまったら、線上の点の数を数える方法を発見したということになってしまいます。
 ところで、AB間には中間点が無限に存在するからといって、
A地点を出発することができないというのは、なんかしっくりきません。アキレスと亀でも同じことが言えるのですが、無限に存在する中間点が運動を否定するというのが納得いきません。フランスの哲学者のベルグソンという人は、運動そのものは持続であって、分割は不可能であるとしていますたしかに、そのように考えればこの矛盾は説明されると思います。しかし、「運動そのものが持続である」とか「分割は不可能」というのが証明できないので根本的な解決になりません。パラドックスは永遠のテーマになりそうです。
 前回のブログ記事(4月9日)でアキレスと亀の図を補足したいと思います。なにしろ、文章だけでは分かりにくいと思いまして…。画像は見づらいと思いますが、ぜひご覧ください。下記のURLをクリックすれば見ることができます。
                       
          http://easecook.ame-zaiku.com/kame.html
             
 アキレスがA地点に到着するころ、亀はB地点にたどり着き、アキレスがB地点にたどり着くころ、亀はC地点にたどり着く。このようにしてアキレスがかつて亀がいた地点にたどり着けば、亀はその地点から少し進んでおり、これが永遠と繰り返されるのでアキレスは亀に追いつくことができないという現実との矛盾が起きます。(この文章はリンク先にも書いてあります。)
 4月9日の記事でもう1つ書き残したことがありました。それは、アキレスの亀に対する僕の見解を述べていませんでした。アキレスと亀は1つの考え方だとはおもいます。しかし、明らかに現実とは矛盾してますのでどこかしら欠陥があるはずなのです。その欠陥点が一見して分からないからアキレスと亀のパラドックスは考えさせられる問題なのです。 
 ゼノンのパラドックスは他にもあるので機会があれば取り上げたいと思います。       

 

 みなさんはパラドックスをご存じですか?パラドックスとは矛盾・ギャップなどの意味で用いられ、ゼノンのパラドックスはとくに有名です。運動のパラドックスはゼノンのパラドックスのなかでも有名で、今回はその中の1つであるアキレスと亀について取り上げたいと思います。
 ある場所にアキレスと亀がいて、この2人(正確には1人と1匹ですが…)はこれから徒競走をします。アキレスは秒速2メートルで走れるとし、亀は秒速1メートルで走れることとします。2人ともかなり鈍足ですが(カメにしては早い)、たとえをわかりやすくするためにこの設定にしました。このまま競走を始めてしまってもアキレスが圧勝してしまうので、亀にスタート地点から10メートルのハンデを与えることとします。このとき亀がいる地点をA地点とします。
 この状態で競走をスタートさせます。アキレスはカメがスタートした地点(A地点)に到着するには5秒かかります。亀は5メートル進み、スタート地点から15メートル先のB地点にいます。アキレスが5メートル先のA地点からB地点にたどり着くには2.5秒かかります。カメはその間に2.5メートル先のC地点に進みます。アキレスがB地点からC地点にたどり着くには1.25秒かかります。その間に亀は1.25メートル進みます。
 このようにしてアキレスがA地点に到達すると、亀はそこから少し進んでB地点に到達する。アキレスがB地点に到着すると、亀はそこから少し進んでC地点に到着する。これが永遠に繰り返されるので、アキレスは亀に追いつくことができないという事態になります。しかし、現実の世界ではアキレスはカメを追い越すことができます。だから、パラドックスなのです。
 運動のパラドックスは4種類あるので機会があればまた紹介していきたいと思います。
 


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